プロフィール
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ご挨拶

 平素より後援会の皆様には、須藤昭男にあたたかい御理解と御支援を賜り深く御礼申し上げます。
 さて、本年5月、須藤昭男は第88代群馬県議会議長に就任致しました。 これもひとえに初当選以来、4期、15年に亘る後援会をはじめ地域の皆様のお支えの賜物であり、改めて心より御礼を申し上げます。 群馬県議会の歴史と伝統を踏まえ、県民の皆様から負託された議長の重責を担い、身の引き締まる思いで日々公務に全力で取り組んでおります。
 また、みどり市から、故近藤英一郎先生(昭和34年就任)以来の53年ぶりの県議会議長の誕生となりました。
 本年6月には『富岡製糸場と絹産業遺産群』が、日本で18番目の世界遺産登録となり、この好機を活かして、みどり市の観光資源を経由して、 同じく世界遺産の日光へ通じるゴールデンルートの構築で、地元発展に力強く取り組もうと、須藤昭男も決意を新たに致しております。
 今後もこれまで以上に、公務多忙な機会も増える事となりますが、この貴重な経験を活かして、地元みどり市、群馬県発展の為、 初心を忘れずに一層の努力と情熱を傾注致し、活動して参りますので、今後とも変わらぬご指導ご鞭撻を衷心よりお願い申し上げます。

                                         (平成26年9月 須藤昭男)

須藤 昭男(すとうあきお)


● 生年月日 昭和35年10月16日生

● 住所 群馬県みどり市笠懸町阿左美3224

● 家族 妻・長男・長女・次男

須藤昭男

学歴

昭和48年3月 笠懸小学校卒業

昭和51年3月 笠懸中学校卒業

昭和54年3月 桐生南高等学校卒業

昭和61年3月 青山学院大学卒業

職歴

昭和62年4月 衆議院議員笹川たかし秘書

平成10年12月末 県議選出馬のため退職

平成11年1月 (有)須藤商事取締役就任

平成11年4月 群馬県議会議員に初当選

平成15年4月 群馬県議会議員2期連続当選

平成19年4月 群馬県議会議員3期連続当選

平成23年4月 群馬県議会議員4期連続当選

現在の役職

第88代群馬県議会議長

群馬県相撲連盟会長

群馬県特産協会会長

群馬県セーリング連盟副会長

社会福祉法人理事・評議員

自民党みどり市支部支部長

今までに就任した主な役職

群馬県監査委員

文教警察常任委員長

産業経済常任委員長

決算・行財政改革特別委員会委員長

自民党県連県議団長

自民党県連政務調査会長

自民党県連幹事長

須藤昭男似顔絵

みなさんの悩みに、疑問に、そして、未来への想いに…
熱い心で応えます!!

「須藤県議に期待する」
 自由民主党群馬県支部連合会監修 県政風雲録 より

笹川氏の下で政治修行

 小中学校時代、須藤は野球少年だった。ピッチャーやサードといった花形ポジションにこだわったのも、当時の少年とすれば当然のこと。 桐生南高校から青山学院大学ではバドミントンと、スポーツに打ち込んだ。
 実家は桐生競艇場の目の前にあり、父・昭一氏が駐車場や貸し店舗を運営する会社を経営していた。 そのため、「ゆくゆくは父を支えて……」と就職にこだわらず、視野を広げようと在学中からアメリカなど外国を放浪した。
卒業後も半年ほどアメリカに滞在。人や空気と触れ合いながら、大きな国を様々な角度から体験してきた。
 翌年、須藤は笹川堯衆議院議員の秘書となる。 「政治家になりたいという明確な考えはなかったが、様々な方々と接する国会議員秘書が、人生の武者修業という意味では最適ではないか。自分を育ててくれた郷土への恩返しにもなる。 そういった考えから、地元選出の笹川先生の門をたたいた」
 東京で、地元・桐生市内の事務所で、十年以上もの間、須藤は笹川氏について政治の現場を学び、様々な栄養を吸収していった。 須藤自身学生時代までは、必ずしも政治を身近なものとはとらえていなかった。 それが秘書生活に入って一変した。
 「政治家など、誰がやっても同じではないか。世間でそんな言い方をする。しかし、そうではないことを現場に入って痛感した。 政治とは人々に夢を与える仕事、という意識が強くなった。そういった意識の変化から、徐々にではあるが、政治家志向が高まっていった」

若さへの期待

 新田郡では平成十年九月に森田重雄県議が急逝する。その後継者として様々な名前が挙がったが、最終的には須藤を推すことに。 混迷する社会の打破へ、三十代という若さへの期待が集まったということだ。この動きと、須藤の政治家志向の高まりが連動して、翌十一年四月の県議選に向けた戦いが始まった。 「政治の大切さを肌で感じた秘書生活だっただけに、この経験を生かすには絶好のチャンスだと思った。声がかかったからには是非とも挑戦したいと」
 とはいえ、出馬には家族が難色を示した。無理もない。結婚に際しても「絶対に選挙には出ない」と恵夫人に約束していたのだったから。 須藤夫妻は三人の小さな子どもがおり、まさに子育て真っ最中。夫人にかかる負担は重い。
 師事した笹川氏は、「政治家としての筋を通すために」自民党を離党し新進党人り。 そして同じように筋を通すために、自民党に復党した。須藤は家族に対してそれに触れながら説得していった。
 「笹川先生の行動は、政治家として非常に勇気のいるものだと思う。周囲からも『よくやった』よりも『なぜそこまで』という声が強かった。 私もそう思った。しかし、自らの利害ではなく政治家としての信念、人との約束を最優先する姿を目の当たりにして、政治家とは、人間とはどうあるべきかを学んだ。 それを生かすための大きなチャンスなのだ、という考えを家族には理解してもらい、協力を得た」
 地域の人たちと正直に、何事も包み隠さず、真正面から向き合い、語り合う。それが政治家の一番の使命ではないかと確信している。 それは恩師・笹川氏が行動を通じて教えてくれたこと。決して大風呂敷を広げることなく、現状を冷静に把握しながらも、みんなが「夢を持ってくれる」ようなビジョンを提起していく。 とりわけ、若い須藤には長期的視点に立ったビジョンが期待されることは間違いない。

「熱血宣言 未来のために」

 その観点で、新田郡という地域は将来性豊かな地域であると思う。施設園芸を柱にした土地集約農業であると同時に工業も発展している。 そんな環境を踏まえ、下水道や都市計画など生活基盤整備、北関東自動車道の全面開通を見据えたインターチェンジ周辺の開発も進めなくてはならない。 国道五〇号の全面四車線化、高速道へのアクセス道の整備も重要だ。
 市町村単位ではなく、広域協力的な町作りも不可欠だ。それが特色作りであり、地方分権の促進につながることは言うまでもあるまい。 「熱血宣言 いまを生きる私たちと、子どもたちの未来のために」  このキャッチフレーズが実によく似合うのも、三十代県議の特権かも知れない。そこには若い世代の共感を集め得る土壌がある。 その若さと将来性を考えれば、新田郡のみならず、広く県全体に目を配らなければ、県民は納得しないだろう。
 「少子社会は、社会の活力をなくすことにほかならない。どの施策も重要だが、子育て支援策には特に力を入れなくてはならないと思う」
 三児の父親の言葉には説得力がある。青年層の代表としての存在意義を、より高めていくには、これまで以上に多くの若者を巻き込んだ水平的な活動の 広がりも図らねばならない。  「社会のすべての人に夢を与える仕事につけたのだから」
 政治家人生を踏み出した青年県議は、そう言って目を輝かせる。

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